えもん
①
俺の名前は里中健助。普通に普通の14歳だ。
いや、もしかしたら普通じゃないかもしれない。
っていうか確実に普通じゃない。
しかし少なくとも昨日ベッドに入るまでは普通だったはずだ。
普通に朝起きてご飯を食べて、学校に行って真面目すぎず不真面目すぎずといった感じで授業を受けて、それなりに一生懸命バスケ部の練習に励んでから塾に行き、塾の講師に私語を注意されたりしながらも勉強して、帰ってきてご飯を食べてお風呂に入ってベッドに入った。
ここまでの俺の生活は、まったくもって普通だった。
しかし今起きてみるとどうだ。
ここはどこだ。
いやわかってる。
俺の上からも下からも右からも左からも前からも後ろからも漂ってくるこの「甘い」寄りの甘酸っぱい匂いは間違いなく桃のそれだ。
ここはどうやら桃の中らしい。
四方八方を真っ白な桃の果肉に囲まれた俺は、三角座りをしながら手は左右に垂らした体勢から身動きが取れない。
ちなみに真っ白な桃と言ったが視界が暗いので果肉の色なんてわからない。
肌に伝わる感触から察するに、きちんと服は着ているらしい。
半袖と長ズボンのようだから、恐らく昨日寝る前に来ていた寝巻きだろう。
休日は何もせずにベッドの中で寝て過ごしたいと常々思っている俺でも、この状況は辛い。
動かないのと動けないのは全然違う。
あとなんだか桃全体がまるで船のように揺れている気がする。
俺は簡単に乗り物酔いするタイプなので既にかなり限界に近づいている。
この密閉された空間で嘔吐などしようものなら、と考えるだけで恐ろしい。
このままだとストレスで死んでしまう。
果肉を食べまくって脱出すれば良いだろうとか言う人がいるかもしれないが、頭も果肉に固定されているので動かせない。
脱出する方法を考え始めて約30分(時計を見られないので俺は時間がわからない。よって30分と言うのは俺の体感である)。
桃がふわっと浮き上がったかような感覚がして、次の瞬間ドシンと地面に落ちたような振動が果肉から俺の全身に伝わった。リバースしなかったのは奇跡だと思う。
やはり先ほどまで桃は揺れていたらしい。揺れが止まって始めて確信できた。
俺が状況を飲み込めないでいると、今度は桃は地面をすって移動し始めた(ように感じた)。
まさか桃が一人でに動くということはないだろうから、何者かが引きずっているのだろう。
俺を包み込むくらい大きな桃だから、誰かが見つけたら持ち帰ろうとするのも無理は無い。
引きずられ続けながらも俺は状況理解に努めた。
揺れは先ほどよりは幾分かマシだったが、気持ち悪いことに変わりは無かった。
気持ち悪いながらも必至に頭を回転させて、体感10分後くらいに、頭の中に一つの仮説が立った。
船のように揺れていた桃が誰かに拾われ、運ばれている。
ここはもしかして「桃太郎」の世界ではないだろうか?
だとするとこの桃をひっぱっているのはお婆さん(このでっかい桃を持ち上げるほどのマッスルボディ)で、この後この桃に包丁を入れる気マンマンの筈だ。
昔俺が読んだ絵本の通りなら桃太郎がその包丁で怪我をすることなどないが、もしかしたら原文では怪我をしていたのかもしれない。
桃太郎の原文が「本当は怖いグリム童話」的なグロテスクな話ではないと断言するだけの根拠を、俺は持っていない。
つまり、俺が読んだ絵本の桃太郎と同じ運命を俺が辿れるとは限らないのだ。
俺はだんだん怖くなってきた。
マッスルお婆さんに包丁でスパンと一刀両断されたらどうしよう。
マッスルお婆さんの一太刀が運よく俺を傷つけなかったとして、口下手な俺がイヌとサルとキジを口説き落として仲間にできるだろか?
それができたとして、俺は鬼ヶ島の鬼とガチで戦えるのか?
バスケットの試合とかならもしかしたら大丈夫かもしれない。
俺は部の中でもそんなに上手じゃないけど、まさか鬼たちはバスケットボールなんて知らないだろうから、きっと俺のほうが強い。
どうせ奴らはダブルドリブルとトラベリングをしまくるに違いない。
サルと犬とキジが味方なので、3オン3で試合をすることになるだろう。
あと一人いれば普通にゲームが出来るのだが、お姫様は鬼に勝つまでは会えないだろうからチームには入れられない。
そうなると一人が補欠になるわけだがどうしよう。
サルは間違いなく試合に出す。人間に近い動物だから、一番利口だろうし、ドリブルするサルをこの前テレビで見た。
問題はイヌとキジだ。
一応ここはファンタジーの世界だろうから、ある程度の実力はあるだろう。
我が家の愛犬「モロコシ」はけっこう上手にボールで遊ぶからイヌには中々期待できる。
でももしかしたらキジがボールを持って飛んで、ダンクシュートを連発するかもしれない。
これは難しい問題だ。
いやいや、俺は何を考えているんだ。
鬼がルールを守って楽しくバスケットをしてくれるような理性的な輩なら退治する必要なんて無いじゃないか。
極悪非道だから鬼なのだ。
そもそもゴールはどうする。
こんなことなら剣道部に入っておくんだった。
ちくしょう。どうして俺がこんな目に。
そもそも俺の名前は里中健助だ。桃太郎じゃない。
一字たりとも掠っていない。
そうえいば小学二年生のときに同じクラスに桃谷幸太郎という奴がいた気がする。
あいつこそこういう目に遭ってしかるべきではないのか。
いや、桃谷くんはとっても真面目ないい奴だった気がする。
隣の席だったときは俺が消しゴムを落とすと高確率で拾ってくれていたはずだ。
彼がこんな目に遭う必要は無い。
俺がテンパって変なことばかり考えていると桃が止まった。
どうやらお婆さんのお宅に到着したらしい。
変なことばかり真剣に考えていたので、かなり気持ち悪い。
今にも吐きそうだ。
この桃は俺がすっぽり入ってしまうような桃だから、桃太郎ベイビーが入っていた桃のように家の中に持ち込むことは出来ないはずだ。
あと数分も経たないうちにこの桃はここで斬られるだろう。
大声で「中に人がいます!」と叫びたいが前述の通り全身が果肉にピッタリ囲まれていて顎も動かせない。
俺は桃のどこらへんに埋まっているのだろう。
中心だったら最悪だ。お婆さんマッスルブレードでほぼ確実に一刀両断である。
お婆さんが桃の前で日本刀の素振りをしている場面を想像していると、桃の果肉が淡く発光しだした。
なんだこれは。
なにがおこるんだ。
もしかして元の世界に戻れるのか。
と希望的観測をした刹那、身の回りの果肉が弾けとんだ。
途端、俺の視界が光に満ち、俺は地上20cmくらいの高さから尻餅をついて、その時の衝撃でついにリバースした。