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鹿は結局その後も俺の初恋について根掘り葉掘り蒸し返し、むやみやたらに俺の心を傷つけた。

「君、そんなに好きならもう一度玉砕してみたらどうかね」

「うるさいな。動物的本能だけで相手を選ぶお前らと違って人間の恋愛感情は複雑なんだよ。っていうか玉砕って言うな」

「動物的本能とは失敬な。我々は相手の持つ能力等を慎重に見極めて相手を選んでいる。君たち人間こそ非合理的すぎる情動によって相手を選ぶではないか」

ぐう。

悔しくもこいつの言うとおりである。

人間の恋愛感情ほど非合理的なものはない。

結局恋愛なんてフィーリングなのだ。

だからこそ一回告白して駄目だったらもうそれはやはり駄目なのだ。

「君はそうやってこれまでの人生、常に逃げを打っていたのであろう。もう少し野心をもちたまえ。ボーイズビーアンビシャス、だ」

「だから心を読むな」

鹿と非生産的なやりとりをしながら歩いていると、目の前に白い建物が現れた。

ガラス戸の入り口の上に「鬼ヶ嶽案内所」と赤いペンキでかかれた看板が掲げられていて、脇には3台の2トントラックが駐車されている。

見たところまだ新しい建物のようだ。

「む、少年。着いたぞ」

「は?」

「ここに鬼がいる」

なんていうことだ。

早く着かねばならないとは思っていたがどうにも早すぎる。

仲間がこの理屈言いの鹿だけしかいないのに鬼の居城に到着してしまった。

百歩譲ってこの鹿が犬の代わりの仲間だとして、キジとサルはどうしたというのか。

「君はとことん失礼だな。着いてしまったものは仕方が無い。さっさと愛しの浜松さんのもとへかけつけたまえ。登場シーンは大切であるぞ少年。格好良く飛び出していけば彼女も『おや』と思うかもしれん」

もうもはやいちいち鹿に反応してやるのも面倒になり、俺は無言でガラス戸を引いた。

ジリリリリリ!

ドアを開いて中に入るや否や、建物内にベルの音が響き渡った。

俺が驚いてドアから手を離すと、俺の後に続こうとした鹿の胴体がドアに挟まった。

「痛い痛い。こら少年。きちんと開けておきたまえ。痛いではないか」

一生挟まっていやがれとも思ったが、心優しい俺はひとまずドアを開けて鹿を中に入れてやった。

俺が当たりを警戒してキョロキョロしていると、奥の部屋から青いジャージ姿の中肉中背の男がスリッパをペタペタ言わせながら歩いてきた。

「おいおい、動物なんか連れて入られちゃ困るぜ。糞をしないように躾けてあるんだろうな」

その男は縁なしのいかにもインテリっぽい眼鏡をかけており、くせの強い髪の毛をくるくるさせていて、そのてっ辺にとってつけたような小さな角が二本生えている。

歳はパッと見たところ30くらいに見えるが20半ばと言われたらそんな気もするし、40歳にも見える。まあこいつの年齢などどうでもいい。

まさかこいつが鬼なのだろうか。

 

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