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登山口を目前に、「別に助走をつける意味はなかったな」と気付いたが、勢いそのまま俺は鬼ヶ嶽に突っ込んだ。

看板を通り過ぎる際、心地よいとは言い難いぶにゅっとした感触と生温い温度が全身に伝わったが、一応通り過ぎられた。

全身が濡れたような気がして自分の体を見たが、まったくもって濡れていなかった。

まるで巨大なスライムの壁を無理矢理突破したような感覚だ。

なにはともあれ、入山成功である。

詳細な仕組みはわからないが、俺がもと居た世界の人間はきっとみんな、この結界を通れるのだろう、と俺は推理した。

しかしそんなことはどうでもいい。

結界を通り抜けた感覚がまだ残っていて少々気持ち悪かったが、俺はとりあえず山を登り始めた。

鬼ヶ嶽はその名前とは裏腹に非常にのどかな山で、こんなところにお年寄の年金を巻き上げる悪い鬼が住んでいるとはとても思えないほどだった。

道もある程度コンクリートで舗装されていて歩きやすいし、夕焼けの空を飛んでいく小鳥達は可愛らしくぴーちくぱーちく言っている。

これから鬼と一戦交えようというのに、ずいぶん緊張感に欠ける穏やかな情景である。

俺はお婆さんに貰った炭酸せんべいをバリバリやりながらぐんぐん進んだ。

浜松さんは無事だろうか。

あまり考えずにここまで登ってきたが、そもそも彼女はどこにいるのだろう。

なんとなく鬼に捕まったと思い込んでいたが、そんな確証はどこにもない。

もしかしたら鬼と会う前に道に迷っているだけかもしれないし、もっと言うと鬼を倒して下山してから道に迷ったのかもしれない。

そうだといいなと思う。

それなら俺が鬼と戦う必要も無い。

そういえば鬼と戦うにあたって何の武器も持って来ていない。

せめて文化包丁でも借りてくるべきだったかな。

いやしかし、もし刃物を持っていたとして、俺が相手を刺し殺せるか?

「随分物騒なことを考えているな、少年」

どこからか声がした。

俺は驚いてびくっと肩をすくめて立ち止まり、辺りを見回した。

すると右手側の茂みがガサガサと音を立て――

「そう構えるな少年。ところでその鹿せんべいを私に分けてはくれまいか」

――鹿が出てきた。

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